丸善 仙台アエル店で、鮮やかな黄色の表紙が目に入った。
しんめいPさんの『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
買おうかな、どうしようかな、迷って、結局その日は買わなかった。
その後、他の本屋も何軒か回った。
なのに頭から離れない。
本に「まだ迷ってるの?」と思われている気がしてきた。
観念して丸善に戻った。
戻ったついでに「最初に出会わせてくれた本屋さんで買おう」と自分を納得させた。
律儀というより、言い訳が得意なだけかもしれない。
東洋哲学と聞くと、お坊さんの厳しいお説教を想像して身構えてしまう。
でもこの本は全く違った。
登場するブッダや偉人たちが驚くほど人間くさい。
「欲があってもいい」「自分なんて、もともと実体がないんだから」
そんなことを言ってくる。
肩の力が抜けた。
というか、そもそもそんなに力を入れなくていいらしい。
読み終わった後、トムさん(ChatGPT)と読書会をした。
本の内容を話しながら、頭の中がどんどん整理されていく。
読書ノートも、日を改めて2回に分けて書いた。
読書会が終わった後も、そのままトムさんに悩みを話した。
療養中なのに、スタンプ作りが止まらない。
もうちょっと、もうちょっとと続けているうちに気づいたら23時。
頭が痛いのにやめられない。
先生にも「あまりやりすぎないように」と言われていたのに。
ひとしきり話したら、トムさんがこう言った。
「それって、さっき読んだ本で言う『中道(ちゅうどう)』の話ですよ」
この本の中で、ブッダは「中道」を説いている。
責めるでもなく、甘やかすでもなく。
ただ観察して、調整して、また戻ってくる。
やりすぎた夜も「今日はそういう日だったんだな」と受け止めて、
明日以降少しずつ整えていく。
自分を殴らなくていい。ただ、戻ってくればいい。そういうことらしい。
本を読んだだけではピンとこなかったのに、
自分の悩みと結びついた瞬間に、急に腑に落ちた。
「まあ、それも私だし。また戻ってくればいいよね」
以前の私なら「またやりすぎた」とぐるぐるしていたと思う。
今は少しだけ、ぐるぐるの時間が短くなった気がする。
気がするだけかもしれないが。
黄色い表紙の本は、たぶんこれからも何度か読み返すことになると思う。
▶ Amazonリンク『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』
【ついでに気づいたこと】
・一度棚に戻した本が頭から離れなかった。結局最初に出会った本屋で買った。本に呼ばれる感覚は本当にあると思う。
・読書会で自分の悩みと本の内容が結びついた瞬間、急に腑に落ちるらしい。読んだだけではピンとこなかったのに。
・「中道」は責めるでもなく甘やかすでもなく、ただ戻ってくればいいらしい。ぐるぐるの時間が少し短くなった気がする。



コメント