「私、本当にここにいていいのかな」と思っていたら、CIAの話に救われた

前回の記事で、うちの会社は定期的に部署異動があると書いた。
ある日、次の異動先を告げられた。

そこは、仕事ができる人の集団だった。
噂ではない。事実である。

告げてきた上司の方が、なぜか慌てていた。
「本当にどうする?」
断る前提があるかのような聞き方だった。え、断れるの、これ。

顔ぶれの何人かは、すでに知っていた。知ってる名前を並べるだけで、もう「優秀な人」しか出てこない。
実データである。

初日。やっぱりその通りだった。
一週間後。その気持ちは、さらに強くなっていた。

……なんてところに来てしまったんだ。

本当に仕事ができる人ばかりだった。
しかも優しい。
飲みに行けば面白い。
もう何なの。
欠点とかないの。
本気でそう思っていた。

そんな人たちの中にいると、「私、本当にここにいていいのかな」と思うようになった。

とはいえ、落ち込んでいる暇はなかった。
というか、暇という概念そのものが支給されていなかった。
優先順位一位を片付けると、優先順位一位その2が届く。
それを片付けると、優先順位一位その3が届く。
「気負う」という高等作業をする余裕は、最初から在庫切れだった。

気づけば、落ち込む暇を仕事に奪われて、勝手に立ち直っていた。
忙しさにも、たまには使い道があるらしい。

そんなある日、一緒に仕事をしていた人が言ってくれた。
「いつもありがとう。本当に助かってるんだ。」

もう、うれしかった。
しかも、その人ももちろん仕事ができる。
あっという間に分かりやすい資料を作っちゃう人でもあった。
……やっぱり性格いいじゃん。仕事もできて、性格もいいって何なんだ。少しは欠点あってよ。

その日、家に帰ってからも、その一言だけが頭の中で再生され続けた。
仕事の内容は忘れても、あの一言だけは、なぜか消去されずに残っていた。
記憶力に定評のない私にしては、異例の保存状態である。

その出来事の意味を、少し後になって考え直すことになった。
多様性の科学』という本を読んでいたら、CIAの話が出てきたのだ。

優秀な人ばかり集めても、似たような経験・考え方の人間だけだと、見えるはずのものを見落とす。
つまり、天才しかいない部屋は、案外何も見えていない部屋でもあるらしい。
だから組織には、違う経験を持った人間が必要なのだという。

天下のCIAのことを書いた本を読んだだけなのに、こちらとしては急に肩の荷が下りた。
同じになれなくて落ち込む必要は、そもそもなかったらしい。
もうちょっと、軽く考えていいのかもしれない。

私は、あの人たちと同じになる必要はなかったらしい。
……とはいえ、もともとなれないし、とは思っていた。

過去の経験があったからこそ、「こういうのもあるんじゃない」と言える場面があった。
あの「本当に助かってるんだ。」も、そういうことだったのかもしれない。

そして先日、『あなたはなぜ雑談が苦手なのか』という本を読んでいたら、「ただそこにいてよし」という言葉が出てきた。

そのページを読んだ時、あの頃の自分がふっと浮かんだ。
役に立てたから、ここにいてよかったわけじゃないらしい。
最初から、ここにいてよかったらしい。

CIAと雑談。
人生、どこで助けられるか分からない。

【ついでに気づいたこと】
・優秀な人ばかりの部署に行くと、「自分だけ場違いなのでは」という気持ちが勝手に立ち上がってくるらしい。
・でも忙しすぎると、その気持ちを掘り下げている余裕すらなくなる。それはそれで一つの防御なのかもしれない。
・「本当に助かってるんだ。」の一言は、当時より後になってから効いてくることがあるらしい。

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